日本に帰化した

生まれた時の国籍は朝鮮国。生まれた時にはもう亡い国の籍を持ち、また籍を変えつつ、最終的に日本の籍に入った。

朝鮮国というのは朝鮮民主主義人民共和国ではなくて南北に分かれる前にかつて半島に存在した国。 亡い国の籍を持つのは奇妙な気がするがお役所仕事なので本人が手続きをしなければそのまま残り続けるみたいだ。大阪城の土地が陸軍省管轄なのに似た話なんだろう。 当時は大日本帝国の臣民であった祖父母、曽祖父母が内地に根を下ろした子が私。時代なのか来歴なのか、祖母は文盲だった。

中学生の時初めて祖国の地を踏んだ。籍は朝鮮にあっても生まれ育ちは河童伝説のある寂れた炭鉱街、日本の片田舎。自分のみならず両親にとっても初めての祖国訪問だった。 そのとき国籍を朝鮮から韓国に変えた。手続きに必要で朝鮮のパスポートを親が取った記憶があるのだが「誰がそのパスポートを発行してるの」と問はれれば答ふるに能わず。

親曰く十五而国籍選択の余地あり。我祖国を選びて後悔なし。今にして思うと朝鮮学校出の両親の影響が大きかった。 親元を離れた大学で考えが変わった。弱冠を過ぎて帰化したいと考えるようになった。

地元にいたときに国籍に拘ったのは親の影響以外にも意地もあったと思う。姉弟で目立つ名前をすれば何かあるのと問うのが子供の純粋さ。 自分の来歴は入学して忽ち皆の知る所になったし、ヤンキー達の良い餌になるのにもそう時間はかからなかった。 ヤンキー達に心では屈しはしなかったが力では負けた。私は身体よりは頭を動かすタイプだった。 日本に生まれただけでいじめられるのも理不尽な話だが、産み落とした両親を恨むことはなかった。 これは私にとって天災のようなもので、地震に遭ってもプレート境界に産み落とした自分の親を恨まないのに似ている。

それもこれも今は昔。山の書類で禊を済ませるまでもなく、上京してからは困ることがなくなった。 インターネットではネトウヨだとか在日だとかで騒がれるせいで、今の今まで出生を明かす時は緊張しながら相手の顔色を窺っていた。だが東京では顔をしかめられることはなかった。 そうすると意地の張りようもなく、ただただ生き辛さだけが残った。日本に於いては皆と違うだけで生きづらい。手続きの面倒さで卒業旅行も海外と聞いただけで断った。 血筋のせいで先方の両親に結婚を断られた親戚もいる。多様性は強みと言われても別に母国語を話せるでもなし。韓国語の授業を取ってみても52点だった。恐らくネトウヨと言われる人のほうがよく理解している。

結局、日本に生まれて日本語を喋って日本の社会で生きるなら日本国籍を取ったほうが生きやすいと判断した。 マイナンバーが交付される人の条件や、公務員になれる人の条件を正確に言える人はそう多くない。 例えばマイナンバーは日本に住所を持つ人に交付されるので私のような在日外国人にも発行されるが在外邦人には発行されない。それでも殆どの人の中では委細を無視して「日本人」で一括りにされる。 私も今回の件で大和民族ではないけど日本生まれ日本育ち日本語を母語にする日本国籍の人間になったので一歩日本人に近づいた。少し生きやすくなった。最後の一歩は末代まで踏めない。

ところで、帰化外国人というとコーカソイドをイメージするかもしれないが私の見た中ではモンゴロイドが圧倒的に多い。 私と同じ帰化式に参加した人はそれと言われなければ日本人としか思えない姿、立ち振舞の人しかいなかった。 皆してお偉い方の挨拶に深々とお辞儀をしていた。 手続き中に法務局の国籍課に通う中でもほとんどが東アジア系、少し遠くても東南アジアや南アジア系ばかりだった。

私が小学生の頃、少し変わった興味を持っていると同級生から「うわ、外人やん」と言われていた。 感覚としてはたまに褒め言葉として言われる「人外」に似ているのかもしれない。私個人としてはうん、そうだね、と受け入れていた。 しかし先生は血相を変えて「差別用語を使うな」と怒っていた。 あれは誰に配慮した叱りだったのか。「外国人」は差別用語なのか。だとしたら日本人は偉くて外国籍を持つ人は居るだけで差別されるのか。 みなさんの思う外国人ってなんですか。

κeen Written by:

エンジニア